双子座

霊性のダルマの《聴聞》についてのラムリム(菩提道次第論/ツォンカパ大師)の教えの私的要約

聴聞とはダルマ(霊性の教え)を聞くことです。聴聞について経典にはこのように説かれています。

 

聴聞により諸法を知るでしょう。

聴聞により罪を止めるのです。

聴聞により非利益を捨てるのです。

聴聞により涅槃を得るのです。

 

仏道の一歩目はダルマを聴くことから始まります。仏道に限らず、どのような霊性の道においても、その一歩目はダルマを聴くことではないでしょうか。

ここではダルマを聴聞するときの仕方についてツォンカパ大師の著された「菩提道次第論」よりまとめてみます。

 

 

参考図書

 

法を聴聞することの利得を思惟する

 

ここでは聴聞の利徳を、たびたび思惟し、心底から信解を生じさせることの大切さについて説かれています。

 

(経典では)聴聞に依って次第に取捨の処を知ることと、知ってから悪行を退ける戒学と、それから非利益が止滅して善の所縁に心が欲するとおりに住する定学が生ずることと、それから無我の真実を証得する慧学により、輪廻への繋縛の根本を断って解脱を得ることを、説かれています。

 

戒学、定学、慧学は三学といって、仏弟子が修行する項目のことです。これら三学の修行も聴聞に依って生起し、三学を修めることによって解脱を得るがゆえに、聴聞することには利徳があるということが説かれています。

 

また他の経典では聴聞の利徳などについて次のように説かれているといいます。

 

● 聴聞により意は信じて、よく歓喜し堅固になる

● 智恵は生ずるし、愚痴はなくなる

● 自らの肉によってもそれ(聴聞)を買うのが正しい

● 聴聞は愚痴の闇を除く灯火です

● 盗人などが持っていかない最上の財産です

● 迷妄という敵を破壊する武器です

● 方便の道の秘訣を教えるので、最上の友です

● 貧しくなっても変わらない親友です

● 無害であり愁いの病の薬です

● 大きな過失の軍勢を破壊する最上の軍勢です

● 最上の名声と吉祥の宝蔵でもあります

● 善き人たちと出会ったら、最上のみやげです

● 集会の中で賢者は喜ぶでしょう

 

聴聞に随う修行を心髄とする者は、(輪廻の)生の城から困難少なく解脱するでしょう。

 

どのような霊脈や霊性の道を歩むとしても、ダルマを聴聞することは道の一歩目だと思いました。

 

法と説法者に対して恭敬を生ずる

 

ここではダルマを説いてくださる方(説法者)に対する聴聞者の態度などについて説かれています。

 

ひとえに信じ敬うことにより法を聞くが、それを非難・誹謗するべきではありません。説法者に対して供養すべきことは、仏陀と等しいと彼に対して想いを生ずべきです。

説法者を仏陀と等しいと見て供養するという、これが最も重要なことだと思います。他には次のような点が説かれています。

 

● 傲慢と軽蔑を離れる

● 不敬を捨てる

● 自身は極めて低い座に座っている

● 喜びをもった目で説法者を見る

● 尊敬を生じ、ひたすらに敬う

● 浄信し無垢である意をもつ

● 病人が医師の言葉を聞くように、恭敬を生じ聞法する

 

 

聴聞する仕方そのもの

 

聴聞する仕方には二つあるといいます。

 

器の三つの過失を捨てる

 

修行者(器)がダルマを聴聞するときの過失について次のような例えが説かれています。

 

1、口が下向きの器だと、雨を降らせても中に入らない

2、口が上向きでも不浄だと、入っても不浄により汚されたので飲むなどができない

3、清浄に保っていても底に穴が開いているなら、不浄により汚されなくても中に住しなくて漏れていく

 

これは具体的にどういうことかといいますと

 

1、説法の場所にすでに座っていても、耳をよく傾けないこと

2、耳を傾けていても誤って受持する、または、動機の過失ができたこと

3、過失がなくても聞く時に受持した語と義を堅固にせず忘失などにより損なうこと

 

ですので、次のように説かれています。

よく聞いて、意に受持しなさい

 

六つの想いに依る

 

1、自己について病人のようだとの想いを確立する

2、説法者について医師のようだとの想いを確立する

3、教授について薬だとの想いを生ずる

4、勉励の行持について病の治療だとの想いを生ずる

5、如来について最勝の人だという想いを確立する

6、法の理趣について久住するとの想いを生ずる

 

私たちが、長い間、激しい苦しみを生む病である煩悩によって、常時、病んでいることを認識するのが「1、自己について病人のようだとの想いを確立する」ということです。

そして、大きな病気になったときには良い医師を探すものですが、そのような医師と出会ったら、大きな喜びがありますし、医師の言葉をきいて、敬意をもって関わるように、ダルマを説いてくださる方を煩悩と苦いう病いを治療する方法を教えてくれる医師と見て、尊敬をもって関わり、言われたことを実行すること、それが「2、説法者について医師のようだとの想いを確立する」ということです。

医師は薬を調合して処方してくれます。病人はそれを大切に受持して決してなくすことはしません。そのように、聴聞したダルマを忘れたりすることなく、多くの努力によって持ち続けることが「3、教授について薬だとの想いを生ずる」ということです。

医師が調合してくれた薬も正しく飲まなければ病を治すことはできません。まして大病を患っている者が、一回や二回薬を飲んだからと行って病が治ることはありません。医師に、病を治すためにはこうしなさい、これはしてはいけない、と教えられたことを実践しなければ、病がやむことはありません。このように医師が調合して与えてくれた薬を飲み、教戒を守り実践することで煩悩と苦という大病を治療することが「4、勉励の行持について病の治療だとの想いを生ずる」ということです。

さらに、説法してくださる方・ブッダを念じ、最も勝れた方であるという心からの尊敬の念を起こすことが「5、如来について最勝の人だという想いを確立する」です。

そして、「6、法の理趣について久住するとの想いを生ずる」とは、このようなダルマを聞くことに依ってブッダダルマが世間に永くあり続けると良いではないかという思いを起こすことです。

 

要するに、「私は一切有情のために仏陀の位を得よう。それを得るには、その因を学ぶことが必要です。それには法を聞くことが必要であると見えるので、法を聞こう」といって、無上正覚へ菩提心を起こします。聴聞の利徳を念じて、悦びいさんで、器の過失を捨てるなどして聴聞するのです。

 

まとめ

 

以上が、ツォンカパ大師が「菩提道次第論」において説かれた「道以前の基礎ーー聴聞の仕方」という箇所の私的な要約です。

この要約によって何らかの功徳が生じたら、それはすべて三宝に由来するものであります。またここに何らかの過失があればそれはすべて私の責任に帰せられるものです。その場合は三宝の御慈悲によってその過失が正されますように祈願いたします。

 

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